「カンボジアに夢を育む」深見東州(半田晴久)テレビ出演
TOKYO MXテレビ 2001年2月1日放送 あらすじ
カンボジアに夢を育む〜ある日本人福祉活動家の姿を追って〜
東南アジア中部、インドシナ半島の南東部に位置するカンボジア王国。面積は日本のおよそ半分で1,140万人余りが暮らしているそうです。カンボジアでは、1992年に長い内戦状態に一応終止符が打たれ、ようやく国家再建の道を歩み始めました。
しかし、人口のおよそ半分が15歳未満の子供たちで、さらに、幼児人口は、ますます増加しているという特殊な状況で、再建には多くの課題を残しています。そして、この国の将来のかぎを握るのが子供たちなのです。
カンボジアの首都プノンペン。人口およそ80万人の政治、経済の中心地です。シアヌーク国王を国家元首とする立憲君主制をとっています。国民のおよそ9割がクメール人で、そのほとんどが仏教徒です。
市民の台所、セントラルマーケットでは、野菜、果物、魚などの食料品から衣料品、雑貨まで、何でもそろっています。マーケットのにぎわいは、復興目覚ましいプノンペンの活気を感じることができます。
しかし、その一方で、国民のほとんどが、政治の混乱や社会的資産の不足で、慢性的な貧困から抜け出せず、大きな課題になっています。
シアヌーク病院
シアヌーク病院は、1996年12月に、24時間無料診療の救急病院として、日本とアメリカの援助により建設されました。
病院には、毎日、250人以上もの患者が診療を受けにやって来ます。患者の病気は、マラリア、腸チフス、結核、心臓病など、さまざまですが、最近では、特にHIV感染や地雷によるけがが増加しており、対応に追われています。
シアヌーク病院では、現在、フィリピン、アメリカ、オーストラリア、イギリスの医療スタッフが、カンボジアの人たちを指導しながら、病院と患者の命を支えているそうです。こうしたカンボジア国外からのスタッフの指導によって、カンボジアの人々の命を助けるだけでなくて、この国の医療水準を上げていく努力が行われているのです。
日本は、1991年の和平協定以来、カンボジアに対する最大の援助国になっているそうです。
カンボジアの最貧地区に小学校を建設
視察団の一行は、次に、ヘリコプターでカンボジアの農村を訪れました。
カンボジアでは、20年に及ぶ内戦で、指導者層を含む100万人とも200万とも言われる人々が虐殺されました。その間、家庭も、学校も、社会も荒れ果ててしまい、カンボジアの人々にとっては、失った知的財産を取り戻すことが急務になっています。
この日、プレイベン州にあるチャッククラーン村で、小学校の開校式が行われていました。この村は、数年前まで、内戦で激しい戦闘が行われていたところで、現在も村の周りには、たくさんの地雷が残っていると言われています。
この村に、小学校を寄附した深見さんが到着しました。村人は、熱い拍手で迎えます。カンボジアには、まだ学校がない村がたくさんあり、お寺の床下や木の下で青空教室が行われています。子供たちには、お土産の鉛筆とノートが配られました。
深見東州(半田晴久)インタビュー
圧倒的に学校が足りない。だから、お医者さんも足りないし、先生も足りないし。だけども、子供たちはね、くったくなく明るいでしょう。皆さん、ごらんになったらわかります。こういうところに生まれ育てば、こういうものだと思って、子供たちもみんな、友達もそうだし、病気とかがね、つらいですけど。だから、病院をつくって…。
カンボジアは、小乗仏教とヒンズー教の仏教国ですけど、お坊さんがいて、仏様が守ってくれているから、ないものを分け合って生きていく。日本の場合は、いろんなものがありますけども、いろんなところを比較して、自分はあれが足りない、これが足りないと思ったり、まあ、文明は文明中のまた孤独があり、病気があるわけですけどね。
カンボジアの孤児院
カンボジアの大地に日が上ります。プノンペン郊外にある未来の光孤児院には、現在、285人の孤児たちが生活しています。この孤児院に、日本からの援助によって建てられた子供たちの宿舎です。この宿舎ができるまでは、軒下で暮らしていた子供たちも、やっと部屋の中で安全に休むことができるようになりました。
18歳になると、孤児院から社会に出ていかねばなりませんが、それに備えて、さまざまな職業訓練も行われています。
この孤児院では、国際的に通用する人材を育てていこうと、英語教育に重点を置いています。
ここでは、さらにコンピューターの教育にも重点が置かれており、カンボジア国内では、トップレベルの教育が行われています。こうして、英語とコンピューターの知識を持った子供たちが、これからのカンボジアを支えていくと期待されています。